大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 平成7年(ワ)107号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

木村治子

山崎満幾美

上田日出子

長谷川京子

被告

乙山太郎

右訴訟代理人弁護士

小沢秀造

被告

右代表者法務大臣

松浦功

右指定代理人

草野功一

外五名

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金一二〇万円及びこれに対する平成七年三月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その余を被告らの各負担とする。

四  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告に対し、各自金三四〇万円及びこれに対する平成七年三月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、被告乙山太郎(以下「被告乙山」という。)が、原告に対して、職場において性的嫌がらせをし、これを拒否した原告に対し、仕事に必要な指示を与えない等不利益な扱いをしたとして、原告が、被告乙山年彦に不法行為に基づく責任が、被告国に不法行為又は債務不履行に基づく責任があるとして、損害の賠償を請求した事案である。

二  当事者間に争いのない事実

1  当事者等

原告は、昭和五七年一二月二〇日付けで、国立療養所○○病院(以下「訴外病院」という。)に賃金職員(日々雇用職員)として採用され、現在に至るまで右病院の洗濯場に勤務している。

被告乙山は、昭和四五年九月一日、訴外病院に定員内職員として採用され、右病院の洗濯場の洗たく長として勤務し現在に至っている。被告乙山は、原告の直属の上司であり、被告国は、訴外病院を開設し運営している。

2  職場の状況等

(一) 訴外病院は、もと結核病院であったが、結核罹患者の減少により、現在では重度身体障害者等を対象に療養看護を行うベット数二九〇床を有する病院である。

(二) 洗濯場の職員は、一〇名であり、洗たく長である被告乙山の下に定員内職員男性二名及び賃金職員女性七名が配置されている。原告は、この賃金職員のうちの一名である。

洗濯場では、入院患者が使用するおもつや病衣、シーツ等のリネン類、医師、看護婦等の白衣等、訴外病院内で使用される全ての衣類等の集配、洗濯、乾燥、プレス等の作業を行っている。

(三) 洗濯場勤務の職員の勤務時間には、日勤と早出出勤とがあり、日勤の勤務時間は、午前八時三〇分から午後五時まで、早出出勤の勤務時間は、午前七時三〇分から午後四時までである(なお、平成六年三月から同年九月までの間、早出出勤の勤務時間が午前七時からの時期があった。)。早出出勤は、当番制で二人一組となっており、日勤の職員が出勤するまでの間、早出の職員二人のみが作業を行う。洗濯場に定休日はなく、月毎に、休日、早出出勤、日勤の勤務が「洗たく場勤務割表」(以下「勤務割表」という。)により定められている。

(四) 洗濯場の建物内には、洗濯機、脱水機、乾燥機等が置かれている洗濯場のスペースの他に、乾燥室、仕上室、プレス室、休憩室、更衣室がある(ただし、乾燥室があったのは平成六年四月まで。)。

3  被告乙山は、洗濯場の洗たく長として他の職員を指揮、監督する立場にあり、職員の休日や早出出勤の割当を行い、勤務割表の案を作成し、日々の洗濯場での作業の割当をしていた。勤務割表の作成は、被告乙山が案を作成し、庶務班長等の決裁を経て、病院長が行う。

三  原告の主張

1  被告乙山の責任

(一) 被告乙山の性的嫌がらせ

被告乙山は、洗濯場での自己の優越的支配的地位を利用して、原告に対し、次のような性的嫌がらせをした。

(1) 被告乙山は、平成五年七月ころから、同被告と原告とが組になって早出出勤する当番の際に、職場で二人きりになると、原告に対し、毎回のように、「長い付き合いやから一回でいいわ、胸を触らせてくれ。」などと言うようになった。原告は、上司である被告乙山から職場に二人きりでいるときにこのようなことを言われ、不気味・不快であったが、「私みたいな洗濯板みたいなのに言わないでほかに魅力のある人がいるやないの。」などと冗談気味に答え、話題を変えるように努めた。

(2) 被告乙山は、同年一一月一八日午前六時五〇分ころ、早出出勤した原告を薄暗い入口で電灯を消して待ちかまえ、「ちょっとだけ触らせてくれ。」と言った。原告がそれに取り合わず、「早く仕事しないといけないので着替えます。」と言って、ロッカールームに入って着替えをしていたところ、いきなり部屋に入ってきて、原告の腕を無理矢理引っ張って休憩室の壁に押しつけた上、原告の胸に手を入れ、乳房を鷲掴みにし、さらに乳首を吸った。

(3) 被告乙山は、同年一二月三〇日午前八時ころ、早出出勤した原告が乾燥室でおむつを干し終わるのを待ちかまえ、原告を乾燥室のセメントの壁とステンレス製の棒に押しつけ、出られない状態にして、原告の胸を触った。

(4) 被告乙山は、平成六年一月一五日午前七時四五分ころ、早出出勤して一時休憩していた原告の側に擦り寄り、「触らせてくれたんだから、わしのもちょっと握ってくれないか。」と言った。原告が驚いて、「そんなことようしません。」と言うと、被告乙山は、「ちょっと目をつむってくれたらいいから、自分でやるから。」と言った。

(5) 被告乙山は、同年二月一日午前八時ころ、早出出勤した原告がおむつの整理をしていると、不機嫌な態度で「この頃わしにそっけないけどわしにも考えがある。プレスも勤務表も考え直すからな、」などと言った。プレス作業は、原告が一〇年間主に任されてきた作業であったが、その分担を決める権限が被告乙山にあったので、原告は、「職長が決めてのことだからいいですよ。」と答えた。

(6) 被告乙山は、同年二月一一日午後二時三〇分ころ、原告に休憩室で日誌を付けるよう指示し、原告が日誌を書いていると休憩室に入って来て、一方の手で原告の肩を押さえ、片方の手で上から手を入れて原告の胸を触り、何事もないふりをして出ていった。

(7) 被告乙山は、同年二月二四日午前八時ころ、早出出勤した原告の腕を掴んで、厚い壁とドアで外部と遮断されている乾燥室の中へ原告を引き入れようとした。原告は、「そういうことはやめて下さい。」と言って、開いていたドアに足と腕でしがみついて力の限りこれを拒否した。その後、原告は、今後も引き続いてここで仕事をしていく以上、気持ちを切り替えなければと考えて、被告乙山におむつの生地のことを話しかけたが、被告乙山は返事もしなかった。

(二) 被告乙山のいじめ

右(一)(7)の出来事があった平成六年二月二四以降、被告乙山は、原告を無視するようになり、以下のとおり、徹底して原告から仕事を奪い、ないがしろにし、原告に敵意を表したり、他の職員に対し、暗に被告乙山に同調するように求め、原告を村八分的な状況に追い込むなど執拗ないじめを続けている。

なお、原告は、平成六年三月二日、訴外病院の事務長補佐に対し、被告乙山の前記各嫌がらせ行為について改善させるように要求したが、同日以降も被告乙山の原告に対する嫌がらせ行為は依然として続いている。

(1) 洗濯場においては、常に洗たく長である被告乙山の指示に基づいて各職員が仕事をすることになっているところ、被告乙山は、平成六年二月二四日から、原告に対してのみ仕事の指示をしなくなった。仕事の指示をしなければならないときは、他の職員を介して指示をし、原告とは一切口をきかないようになった。原告が被告乙山に対し、仕事の指示を仰ごうと問いかけても、被告乙山はわざと聞こえないふりをするため、指示のないまま仕事をしていると、被告乙山は、「せんでいい。」と言って、原告に仕事をさせないようにした。

(2) 原告が洗濯物として出された白衣のポケットの中の忘れ物を調べていると、被告乙山は、わざと他の職員にもう一度調べるように指示をした。また、原告が洗濯した洗濯物を他の職員に洗いなおさせたり、原告が、乾燥機に洗濯物を入れる作業をしている他の職員を手伝おうとしたところ、被告乙山はその職員に別の仕事の指示を出して原告にその職員の手伝いをさせないようにした。原告が、被告乙山のところに洗濯物を受け取りに行ったところ、被告乙山は、洗濯物を原告の顔に投げつけるようにして渡したりした。

(3) 原告は、従前、職場の日誌を書いたり、黒板に職員への連絡事項を書いたり、勤務割表の清書をしたり、来客への湯茶を出すといった洗たく長の補佐的な仕事をしていたが、これらの仕事を全て他の職員にさせるようになった。

(4) 原告は、平成六年三月二日、訴外病院の事務長補佐に対し、被告乙山の前記各嫌がらせ行為について改善させるように要求したが、同日以降も被告乙山の原告に対する嫌がらせ行為は依然として続いている。また、原告は主としてプレス作業に従事していたが、被告乙山は、同年八月一日から同年一〇月三一日までの間、原告をプレス作業に従事させなかった。

(三) 被告乙山の不法行為(いわゆるセクシャルハラスメントの違法性)

職場での優越的支配的地位を背景に、相手の望まない性的接近を遂げようとする性的嫌がらせは、他人の性を自己の快楽の対象としか見ておらず、職制上その支配下で就業している労働者の性的自己決定権を脅かし、その人格的尊厳と労働権を侵害する極めて悪質な違法行為である。

このような性的嫌がらせは、近年職場規律の対象として就業規則等で禁止する事例もあり、また、訴訟において不法行為を構成する違法行為として評価されるようになってきている。

本件において、被告乙山は、職場における優越的支配的地位を利用して、原告に対し、一方的で不快な性的行為を仕掛けて、その性的自由や人格的尊厳を侵した上、右行為を拒絶されるや職制上のあらゆる権限及び地位を利用して原告に執拗に嫌がらせを加え、もって原告の労働権を脅かしたものである。

被告乙山の原告に対する前記いじめ行為は、同人の性的嫌がらせを原告が拒否したことが原因であり、被告乙山の性的嫌がらせと一体となった違法な行為である。

2  被告国の責任

(一) 使用者責任

被告乙山の原告に対する前記1(一)、(二)記載の一連の行為は、上司としての地位を利用し、勤務時間中職場内において、職務の一環として、またはこれに関連して行われたものであるから、被告国の「事業の執行につき」されたものといえる。

(二) 債務不履行責任

一般に、使用者は、労働契約上、職場において、被用者の人格権が侵害され、当該被用者にとって、職場環境が著しく悪化する事態が発生することを未然に防止し、また、右事態を知ったときは、迅速かつ適切に対処し、職場環境を働きやすく調整する義務を負う。

性的嫌がらせは、被害者の人格権を侵害する行為であり、人格権は、生命、身体と並んで最大限尊重されなければならない基本的な権利である。それゆえ、使用者は業務遂行の過程で、被用者の人格権についても、生命、健康と同様に侵害から保護するよう配慮すべき義務(労働環境配慮義務)を負う。

したがって、被告国は、被告乙山の原告に対する性的嫌がらせ及び職場におけるいじめを未然に防止し、また、それを知ったときは、迅速に被告乙山の右各行為を止めさせるための注意、監督、指導、配置換え等の適切な措置を講じることによって、原告の苦痛を除去し、快適な職場環境を調整すべき義務を負っているところ、原告は、以下のとおり、平成六年三月二日以降、自ら又は夫を介して、再三、訴外病院に対して被告乙山の行為をやめさせるよう善処を求めたが、訴外病院は、何ら実効性ある処置を講じることなく、被告乙山の原告に対するいじめは依然として継続している。

(1) 原告は、平成六年三月二日、同僚の山下ひとみ(以下「山下」という。)に同行してもらい、山本治事務長補佐(以下「山本事務長補佐」という。)に対して、被告乙山の原告に対する前記1(二)記載の各行為を訴え、その原因は、原告が、同年二月二四日に、被告乙山の性的嫌がらせ行為を拒否したためであると説明した。

(2) 原告の夫は、同月七日、訴外病院の山本事務長補佐と大久保和雄庶務班長(以下「大久保庶務班長」という。)を訪ね、両名に対しそれまで起こった被告乙山の性的嫌がらせ行為と職場でのいじめの全てを説明し、どのように対処するのかを質した。

(3) 原告は、同月九日、山本事務長補佐に対し、被告乙山から受けた前記1(一)の各性的嫌がらせ行為を全て報告した。

(4) 山本事務長補佐と大久保庶務班長は、同月二六日、洗濯場を訪れ、仕事をしていた職員五名(原告を含む。)から事情を聞いた。その際、原告以外の職員が、右両名に対し、被告乙山が原告を(洗濯場から)放り出すと言っていること、同被告が、原告に対し、乾燥室で手を触らせてくれと言ったことなどを話した。

(5) 被告乙山は、職場内や原告の自宅近隣で、自分の方が被害者であると吹聴し、原告に対する嫌がらせがひどくなっていった。そこで、原告の夫は、同年六月一日、訴外病院の衣笠優事務長(以下「衣笠事務長」という。)に対し、同病院の調査状況と対応について説明を求め、今後の対応について話し合いたいと申し入れた。

これに対し、衣笠事務長は原告に対して、あらためて被告乙山の性的嫌がらせの内容を尋ねたので、原告は、山本事務長補佐に話した内容を繰り返して説明した。

(6) 原告の夫は、同月七日、衣笠事務長に会って、被告乙山のこれまでの行為をあらためて説明し、原告が精神的にまいっているので仕事がしやすくなるように被告乙山を指導するよう申し入れた。

(7) 原告と原告の夫は、同年八月一〇日、同月初めから被告乙山が原告を従前担当していたプレスの仕事から外したことについて、新たな嫌がらせを始めたとして、衣笠事務長に対し善処を求めた。原告は、同月一六日、衣笠事務長と大久保庶務班長に対し、現状について、相変わらず仕事の指示がなく、これまで一番経験の長い自分が中心にやってきたプレスの仕事を外されたら、辞めろと言われているのに等しいと訴えた。

(8) 洗濯場の職員七、八名が、同年一〇月一二日の夕方、洗濯場において、山本事務長補佐と大久保庶務班長に対して被告乙山の原告に対するいじめの実態を訴えた。さらに、洗濯場の職員らは、同年一一月二五日、衣笠事務長、山本事務長補佐、大久保庶務班長に対し、重ねて、被告乙山の原告に対するいじめの内容を話し、善処を求めた。

3  原告の損害

(一) 慰謝料 三〇〇万円

原告は、前記のとおり、被告乙山の原告に対する性的嫌がらせにより筆舌に尽くしがたい精神的苦痛を被った。原告の精神的肉体的苦痛ははかり知れず、これを慰謝するための賠償額は三〇〇万円を下らない。

(二) 弁護士費用 四〇万円

原告は、原告代理人らに依頼して、被告らに対し、慰謝料の支払及び職場の改善措置等を求めてきたが、被告らが交渉に全く応じなかったために、やむなく本訴を提起せざるを得なくなった。原告は、原告代理人らに弁護士報酬として金四〇万円を支払うと約した。

四  被告乙山の主張

1  被告乙山は、原告に対し、性的接近を遂げようとしたことは一切ない。被告乙山は、原告が被告乙山から性的嫌がらせを受けたと主張してから、原告と二人きりになることのないように努めている。被告乙山が、仮に原告に対して性的興味を持ち、性的嫌がらせをしようと考え、早出の際にしようとしたのであれば、原告と早出のペアを組むように勤務割表を作るはずであるが、そのような恣意的運用を被告乙山は一切していない。

被告乙山は、原告の病院等に対する訴えや原告の夫の脅しにより、体重が一〇キロ減り、職場でも社会生活の面でも著しく名誉を傷つけられた。

被告乙山は、原告に対し、恋愛感情とみられるものを抱いたことはなく、原告のことを異性として魅力ある人として発言したこともなく、原告に横恋慕しているという噂すらなかった。被告乙山から見て原告が平成五年ころに急に特段の理由もなく、魅力的になったり、原告が被告乙山を挑発して被告乙山の心が動いたという事実もない。

被告乙山が、原告に対して、単に物理的に猥褻な行為を継続的に強要したとしても、訴外病院の洗濯場のように女性が多い職場の場合、被告乙山が原告をいやらしい目つきで見ることが何回かあれば、誰かが気がつきそうなものであるが、そのようなことはなかった。

他方、原告は被告乙山から性的嫌がらせ行為をされていたという間、夫にこれをほのめかしたり、同僚に相談したり、上司に相談したりした形跡は全くない。逆に、原告は、平成五年秋には、夫とともに被告乙山方にぶどうを持参したり、平成六年二月には、同僚と一緒に被告乙山が主催する小旅行に嫌がらずに参加したりしており、これらのことから考えて、原告の訴えは信憑性に欠ける。

2  原告は、職場の同僚と現在も円満に仕事をしており、村八分的状況にあるということはない。

原告が、プレス作業を主としてきたこと、原告が、平成六年八月一日から同年一〇月三〇日までの間、プレス作業に従事しなかったことは認める。しかし、プレスの技術を覚えたいという希望が賃金職員の中にあり、平成六年七月二六日の職場懇談会において、プレスも含めたローテーションの話が出たため、原告以外の職員についても交代でプレスの仕事をすることになったのである。原告は、右懇談会に出席しているが、右提案に反対していない。同年九月一日から、山下、東海林、杉田、三浦、渡辺、長濱がプレス作業のローテーションを組んだ。原告は、プレス作業の経験があるので、それ以外の職員でローテーションを組み、未経験者に早く仕事を覚えてもらうようにとの方針であった。同年一〇月一七日の職場懇談会において、他の職員がプレス作業に慣れてきたので、原告も含めてローテーションを組んでほしいという希望が出たので、翌一一月分の勤務から原告も含めたローテーションを組んでいる。

原告は、女子職員の中では一番勤務年数が長く、日誌を書いたり、勤務割表の清書をしたり、黒板に職員への連絡事項を書いたり、来客に湯茶を出すという作業をしていた。しかし、これらの作業は、原告だけでなく、他の職員もしていた。日誌を書いたり、勤務割表を清書をしたりする作業は、キャリアとなったり、原告の仕事として、特に配慮を要するような仕事ではない。原告は、平成六年三月又は四月ころ、被告乙山に対し、「自分だけが書くのは嫌だ。他の人に頼んでほしい。」と申し入れてきたので、同被告は、他の職員に仕事を割り振った。

3  被告乙山は、訴外病院の組合役員として活動しており、支部長にもたびたび選任されており、職場でそれにふさわしい人望があった。

被告乙山は、部下に対する仕事の指示や連絡方法については、従前から公平に行うように努めてきた。しかし、原告らの職場である洗濯場は、忙しく、騒音も大きいため、仕事の指示を端的に大声で伝えることが多かった。そのことで、同被告について言葉遣いが悪い等という指摘がされたものと思われる。被告乙山としては、原告に対する仕事上の指示は、必要に応じて行っている。

五  被告国の主張

1  使用者責任について

(一) 被告乙山が、原告に対し、性的嫌がらせ行為及びいじめをしたという事実はない。

(二) 仮に被告乙山が、原告に対し、性的嫌がらせ行為及びいじめをしたとしても、使用者は被用者が事業の執行について加えた被害を賠償する責任があるとする民法七一五条本文には該当せず、また、仮に同条本文に該当するとしても、被用者の選任監督に当たって相当の注意をしたときには使用者は責任を免れるとする同条ただし書の趣旨に照らして、被告国は使用者責任を免れる。

(三) 原告の主張するような被告乙山の違法な性的嫌がらせは職務遂行上の行為ではなく、許されない行為である。このことは被告乙山をはじめ各人が十分認識している。また、従前から洗濯場において早出の場合は、男性職員と女性職員をペアにする必要があったが、女性職員から性的嫌がらせに関係した被害事実の申告やその発生を危惧する申出もなかった。

性的嫌がらせは、女性の人格的利益を侵害するものであるとしても、生命や身体に対する直接の侵害行為とは性格を異にする。したがって、訴外病院として、このような事態の発生を予見することは不可能であり、その被害の発生を回避することは困難であった。さらに、被告乙山は、職場長であるといっても、病院内における地位は、さほど高いものではなく、人事異動の権限等は有しておらず、原告が受けたとするいじめ行為によって、賃金や人事異動上の不利益を原告が受けた事実は存しない。

2  債務不履行責任について

(一) 原告が、平成六年二月二四日以降同年三月二日までの間及びその後も同月以降、性的嫌がらせを拒否したために被告乙山から数々のいじめを受けた事実はいずれも認められない。

特に、平成六年八月一日から同年一〇月三一日までの間、プレス作業をはずされたことについては、洗濯場における作業ローテーションの一環であって、原告に対するいじめではない。

訴外病院は、原告から被害申告を受けた後、職場環境の円滑化のための適切な措置を講じている。すなわち、原告は、平成六年三月二日及び同月八日に、性的嫌がらせ及びいじめについて、前記原告主張事実の一部を病院に申告した。病院は、原告の右申告を受けて、直ちに、同月二二日から翌四月五日にかけて、原告や被告乙山を含む関係職員から事情聴取をする等して事実調査を行った。その結果、原告が申告した性的嫌がらせ及びいじめの事実は確認できなかった。しかし、右調査の過程で、被告乙山には職場長として必ずしも適切でない言動があったことが確認できたので、同月一一日に惠谷敏病院長(以下「惠谷病院長」という。)から同被告に対して厳重な注意を与えるとともに、注意を与えたことを職員に発表した。さらに訴外病院は、洗濯場に業務連絡会を設けることとし、同年六月三〇日の第一回以来、原則として毎月一回開催することによって、上司と職員及び職員相互間の意志疎通をはかるという点で多大な成果を上げている。

(二) 使用者の安全配慮義務の概念は、被用者が業務上被った生命・身体に対する侵害に関するものである上、実定法上の根拠を有するものであって、その法理と原告が人格権の侵害の根拠として主張する労働環境配慮義務を同一視し、あるいは、類似の概念として認めることはできない。また、仮に安全配慮義務違反類似の労働環境配慮義務違反という法的構成が認められるとしても、原告が主張する労働環境配慮義務は、具体的な内容の特定や不履行の主張が不十分であり、主張自体失当である。また、被害発生の予見可能性がない場合には、国の安全配慮義務違反が成立しないとされているが(最高裁平成二年四月二〇日判決)、本件の場合において、被告乙山の性的嫌がらせについて訴外病院に予見可能性はなかった。

六  主要な争点

1  被告乙山の不法行為責任の成否

(一) 被告乙山の性的嫌がらせ行為があったか。

(二) 被告乙山のいじめ行為があったか。

(三) 被告乙山の右各行為の違法性

2  被告国の使用者責任の成否

(一) 仮に被告乙山の原告に対する嫌がらせ行為及びいじめ行為があった場合、「業務の執行につき」といえるか。

(二) 被告国は相当な注意をしたといえるか。

3  被告国の債務不履行責任の成否

4  原告の被った損害

第三  争点に対する判断

一  被告乙山の性的嫌がらせ行為の有無(争点1(一))について

1  原告は、被告乙山による性的嫌がらせ行為について、本人尋問及び陳述書(甲九)において次のとおり供述している。

(一) 被告乙山は、平成五年七月ころから、原告との早出出勤の際、原告に対して、「胸を触らせてくれ。」と度々言うようになった。原告は右発言に対して冗談を交えて話題を変えるようにした。

(二) 同年一一月一八日午前六時五〇分ころ、原告が早出出勤をした際、同日原告と共に早出出勤であった被告乙山が洗濯場の入口に電灯もつけずにおり、「電気をつけらんと待っとったんや。ちょっとだけ触らせてくれ。」と近づいてきた。原告が、被告乙山の言葉に耳を貸さず、「早く仕事をしないといけないので着替えます。」と言って更衣室に行き、作業着に着替え始めたところ、被告乙山は、更衣室に入ってきて、着替え途中の原告の腕を引っ張って休憩室へ連れていき、休憩室の壁に原告の背中を押しつけ、原告のシャツをめくりあげて原告の乳房を鷲掴みにし、乳首を吸ったり、胸をもんだりした。

(三) 同年一二月三〇日午前八時ころ、原告と被告乙山とが早出出勤の際、洗濯したおむつを当時の乾燥室(後に改装されている。)に干す作業が終わったので、原告が乾燥室を出ようとしたところ、被告乙山は、原告を乾燥室の壁とおむつを干すステンレス製の棒の間に押しつけ、顔を原告の首筋に近づけ、原告の胸を着衣の上から触った。

(四) 平成六年一月一五日午前七時四五分ころ、原告と被告乙山とが早出出勤の際、原告が洗濯物を脱水機に入れ、ジュースを飲みながら休憩していたところ、被告乙山は原告に近づき、原告に対し、「触らせてくれたんやから、わしのもちょっと握ってくれへんか。」と言った。原告が拒否すると、「ちょっと目つむってくれたらええから。自分でやるから。」と言いながら、原告に手をのばした。原告は、ジュースの缶を捨てると言って、その場を離れた。

(五) 同年二月一日午前八時ころ、原告と被告乙山とが早出出勤の際、原告と被告乙山とでおむつの両端を引っ張って皺をのばし、重ねていく作業をしていた際、被告乙山は原告に対し、不機嫌な口調で「このごろ、わしの言うこときけへんなあ。わしにも考えがある。プレスも勤務割表もまた考えるからな。」と言った。原告は、「職場長(被告乙山のこと。以下同じ。)が決めてのことやからいいですよ。」と言った。

(六) 同月一一日午後二時三〇分ころ、原告が、被告乙山から、休憩室で日誌を書いてくれと言われたため、原告が日誌を書いていると、被告乙山が休憩室に入ってきて、片手で原告の肩を押さえ、もう片方の手を原告の背中から入れて原告の胸を直接触った。被告乙山は、自分の口に人差指をあてて、口止めをする仕草をして、休憩室から出ていった。

(七) 同月二四日午前八時ころ、原告と被告乙山とが早出出勤の際、原告がおむつを干し終わって、乾燥室から出ようとしたところ、部屋の奥にいた被告乙山に左腕を引っ張られた。原告が、「そういうことはやめて下さい。」と言って、開いていたドアにしがみつき抵抗すると、被告乙山は、それ以上は何もしなかった。同日、その後の作業のときに原告は被告乙山に話しかけたが、同被告は返事をしなかった。

2  これに対し、被告乙山は、本人尋問及び同被告の代理人に対する陳述録取書(丙五五、六〇)において、原告が供述するような行為を一切したことがない旨を供述している。

3  このように、争点1についての原告と被告乙山との各供述は全く異なり、対立するものであるが、次の各点に照らすと、原告が供述するとおりの事実があったと認めるのが相当であり、原告の供述に反する被告乙山の供述は採用できないというべきである。

(一) 原告の供述する内容は、日時、場所、被害態様が変遷することなく一貫しており、供述する被害の態様も詳細かつ具体的で、不自然な点が見られないのに対し、被告乙山の供述は、全くやっていないと供述するのみである。

(二) 原告の供述内容が全くの虚偽であるとすると、原告が被告乙山を陥れる目的を有していたとか、原告が虚言癖のある人物であることが考えられるが、本件全証拠によっても、原告がそのような目的を有していたとか、虚言癖のある人物であったことを窺わせる点を認めることはできない。

(三) 証拠(証人片岡、同渡辺)によれば、被告乙山は、勤務時間中に女性職員の乳房の大きさや体型のことや女性職員の配偶者との性交渉のことなどを話題にすることが度々あった(女性の乳房は大きいほうがよいとか、触ったら気持ちいいだろなとか、性交渉の体位を尋ねるなど。)ことが認められるところ、被告乙山は、そのような事実についても全く記憶にないとの供述を繰り返すのみであり、性的な事柄に関することになると記憶が欠落するという不自然な供述態度に終始している。

4  ところで、証拠(丙五五、原告本人、被告乙山本人)を総合すれば、平成六年二月三日、被告乙山は、当時の同僚の山本君子、長濱美保(以下「長濱」という。)、田中義宏及び原告を誘い五人で城崎へ日帰り旅行に出かけたこと、当日の食事代、土産代等を全て被告乙山が負担したことが認められ、既に性的嫌がらせ行為による被害を受けていた原告の行動としては、不自然という印象を抱かないではない。しかし、これは、日帰りの旅行であること、同じ職場の同僚が数名同行していることを考慮すれば、原告としても職場内の常識的な付き合いの範囲内で参加しうるものであり、そうであるならば、職場の上司である被告乙山の誘いを原告において断れないと思った(原告本人)としてもおかしくはないから、右日帰旅行に原告が何ら異を唱えることなく同行しているからといって、被告乙山の性的嫌がらせ行為を否定する理由にはならない。

また、原告は、平成六年二月二四日を除いて、被告乙山の性的嫌がらせ行為に対し、個々の行為の後に被告乙山に対し、抗議をしたり、大声をあげたりしておらず、被害にあったことを同僚や夫、事務長等の病院の管理職らにすぐには相談していない(この点は原告が自認している。)が、職場の上司による性的な嫌がらせという事柄の性質上、たとえ身近な人間に対してであっても被害事実をすぐには第三者に打ち明けることができないことは、性的嫌がらせを受けた女性の行動として十分理解できるところであり、直ちに被害申告をしなかったことは、原告の前記供述の信用性に影響を与えるものではない。

二  被告乙山のいじめ行為の有無(争点1(二))等について判断する前提として、原告の仕事に対する被告乙山の対応等に関する事実経過の概要を判断する。

前記争いのない事実に証拠(甲九、一一、一二、一三、一五、乙二、六の1〜3、丙五一の1〜9、証人片岡、同山本、同渡辺、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められ、被告乙山の本人尋問の結果及び証人山本の証言中、右の認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  被告乙山は、平成六年二月以前から、洗濯場職員に対する対応で職員の不満や反感を買うことが少なくなかった。

すなわち、被告乙山は、自分が決めた方針には他の者が従わないと気のすまないところがあり、自分の気に入らない態度の職員に対しては「アホ」、「バカ」、「オイコラ」などと言ったりした。他方、自分が気に入っている職員に対しては他と比較して優しく対応することがあった。職員の勤務割表の案は被告乙山が作成していたが、土、日の割り振り、給与日の出勤の割り当て等で特定の職員を優遇することがあり、その余の職員の中には、被告乙山が気に入った者を有利に扱っているのだと理解する者もいた。このようなことから、洗濯場の職員は勤務にあたり常に被告乙山の顔色を窺うようなところがあった。

平成六年二月二四日ころまでの被告乙山と原告との関係については、回りの者は特段険悪な関係にあるとは見ていなかった。

2  被告乙山は、平成六年二月二四日ころから、それまでとはまったく異なり、原告と口をきかなくなり、仕事の指示をしなくなった。仕事の指示をしなければならないときには、他の職員を介して指示をした。また、原告が自らの判断で仕事を見つけてこれをしようとすると、同被告から、「せんでいい。」と怒鳴りつけられた。

他の職員には、被告乙山の態度が変わったことを不審に思う者がいたが、職場内で被告乙山の原告に対する対応を表だって問題にする者はいなかった。そのため、原告は、自分が職場内で孤立しているように感じた。

3  思いあまった原告は、同僚の山下に相談し、平成六年三月二日午後九時ころ、山下とともに山本事務長補佐に対し、話を聞いてほしいと申し出た。原告は、山本事務長補佐に対し、「最近、職場長から仕事の指示がない。職場長はわざわざ遠回りをして物をとったり、私が尋ねても知らんぷりをして返事をしてくれない。仕事ができない状態で精神が限界に来ている。」と訴えた。山本事務長補佐が「何か原因がないとこうならないだろう。」と尋ねたため、原告は、「職場長から何度もセクハラを受けた。二四日の早出のときに乾燥室から出ようとしたときに腕を引っ張られたので『やめて下さい。』と言ったところ、このようになってしまった。このような状態が続くなら、職場長と病院を訴える。」と言った。山本事務長補佐は、「職場長に横田さんと山下さんのことを言うとあの人のことやから余計いじめがきつくなるやろしなあ。まあ考えとくから。」と言った。

4  同年三月三日、原告は休暇の日であったところ、被告乙山は、それまで原告に頼んでいた日誌の記入(一〜二か月分をまとめて書いていた。)、勤務割表の清書を渡辺百合子にさせるようになった。

5  山本事務長補佐は、惠谷病院長らと相談の上、同月四日、被告乙山に対し、部下に対する言葉遣いを改めるよう指示した。

6  同月七日、同月四日に原告から被告乙山の性的嫌がらせ行為を打ち明けられた原告の夫が訴外病院を訪れ、山本事務長補佐らと面談し、被告乙山に電話し問いただしたが、事実を否定し反省の様子がないので、訴訟等も検討しているなどと述べた。そこで、山本事務長補佐は、被告乙山の事情聴取を行い、性的嫌がらせ行為の有無について正式に確認したが、被告乙山は事実を否定した。

7  被告乙山は、原告に対し、同月八日、「今日から今まで通りするから、わしの言うことを聞いてくれるか。」と言った。原告が、「言われた仕事なら何でもしますけど、他のことはできません。」と答えた。

同月八日午後零時三〇分ころ、訴外病院において山本事務長補佐が原告から事情聴取を行った。原告は、「今朝、乙山から『今日から今までどおりするから言うことをきいてもらえるか。』と言われたので仕事上でのことならと言っておいた。」また、「セクハラ行為をされるのは、いつも早出のときである。断ったところ、辛く当たられた。」と言った。そこで、山本事務長補佐は、「言いにくい話だろうが、職場で問題があれば、すぐ知らせてほしい。」と原告に言った。

8  被告乙山は、右八日当日は原告と会話を交わしたものの、翌九日から被告乙山の無視が再開された。

同日(九日)、山本事務長補佐は、原告の夫に電話し、七日の事情聴取の結果を伝えたところ、同人は、このまま放置できないので女性センター等に相談すると述べた。また、同日、井奥新二郎事務長(以下「井奥事務長」という。)が被告乙山と面談し、原告の夫との電話の内容を伝えたところ、被告乙山は重ねて性的嫌がらせ行為の事実を否定した。

9  同月二二日、原告の夫は、山本事務長補佐に電話し、訴外病院(被告国)と被告乙山の双方に訴訟を提起する旨伝えた。

訴外病院側は、原告の夫の強い申し入れがあったので、山本事務長補佐と大久保庶務班長とで同月二二日から四月五日までの間職員から事情聴取を行った。まず、洗濯場において複数の職員から聞き取り調査をしたが、事柄の性質を考慮して、再度、山本事務長補佐と大久保庶務班長とで洗濯場職員から個別に事情聴取を行った。事情聴取の結果は、その都度、井奥事務長に報告し、惠谷病院長も含め、病院としての対応を検討した結果、性的嫌がらせ行為については、目撃者もなく事実の有無の確認ができないという判断をしたものの、被告乙山には職場の長としての言動や態度に問題があるということで意見が一致した。

10  そして、同年四月一一日、惠谷病院長は、被告乙山に対し、山本事務長補佐・大久保庶務班長立ち会いの下、口頭で「洗たく長として責任を持って不信の念の解消に努力し、洗たく場の立て直しを誓ってもらいたい。どちらが悪いかの問題でなく、このような問題を二度と起こさないように」との厳重注意を与えた。被告乙山は、右注意にもかかわらず、「院長からいろいろあるが頑張ってやってくれと言われた。」と言って洗濯場に戻ってきた。

同月一二日、山本事務長補佐が、当日の出勤者ら(原告は年休、乙山も休暇のため不在。)に対し、惠谷病院長が被告乙山に対して厳重注意を与えたことを伝えると同時に、原告から申出のあった性的嫌がらせ行為の事実については事実関係の確認はできなかったことも伝えた。

同月一三日、山本事務長補佐は、被告乙山と面接し、職員の間で勤務割りをはじめ、同被告の仕事のやり方に不満があること、職員の言い分が一〇〇パーセントとは思ってはいないが、部下の意見を聞いてほしいことなどを述べ、同被告に対し反省を促した。これに対し、被告乙山は、勤務割りについては、各人の希望を聞いて配慮しているのに批判され心外であること、その他いじめとされる行為はないことを述べた。

11  同年六月七日午前、原告の夫から井奥事務長の後任の衣笠事務長に対し、被告乙山が病院長から厳重注意を受けたのに、まったく改善がみられていないとの苦情の電話があった。そこで、同日午後、衣笠事務長から洗濯場の職員に対し、山本事務長補佐と大久保庶務班長が立会いの下、人間関係を損なわないための基本事項として、勤務割表の公平化、業務命令の公平化、職場内での人間関係の和を図ること、プライバシーの保護、個人間での金銭貸借の禁止について留意することと月一、二回の業務連絡会の開催を実施することが提案された。また、日々、その都度洗たく長から仕事の指示を受けなくてすむように、業務手順を作成して各自に仕事の流れを周知させること、業務連絡方法等は全員に一斉に伝えること等も提案された。

業務連絡会は、同月三〇日に第一回が開かれ、以後月に一、二回程度開催され、業務分担等について意見交換がされている。

12  しかし、衣笠事務長から右の提案がされた後も、被告乙山の原告に対する態度には顕著な変化がみられなかった。例えば、被告乙山は、同年七月一二日、原告が、看護婦が白衣のポケットに印鑑を入れ忘れていないかと来たので探していると、他の職員に指示して探させたということがあった。また、被告乙山は、同年一〇月一一日、午後四時すぎ、原告が他の職員と洗濯物を洗濯機に入れていると原告の入れた洗濯物を掴み出してほかの洗濯機に入れたり、他の職員が乾燥機に洗濯物を入れているのを原告が手伝おうとすると、その職員に別の作業を命じたりした。

また、被告乙山は、右同日、原告が洗濯物を洗ってかごに入れておいたところ、他の職員に命じて洗い直しをさせたりした。

13  洗濯場では、従前、プレス作業は、熟練を要する作業であるため、経験が長く、クリーニング師の免許を有する原告を中心に女性職員四名で行うこととされており、同作業では作業の組立等について主として原告の自主的な判断に任されていた。

平成六年七月二六日、業務連絡会が洗濯場で行われ、事務長補佐、庶務班長、原告、被告乙山も出席した。

右連絡会の場で、業務の流れの見直しや全員が業務を処理できるようにローテーションを組むことを庶務班長が提案し、反対の意見が特になかったので、事務長補佐が、定期的にローテーションを実施してもらいたいと要望した。乙山がプレスを含め全体のローテーションを検討すると答えた。右提案を受けて、細かい作業分担は被告乙山が決めることとなった。

同年八月一日、被告乙山は、原告らには何らの事前の相談をすることなく、プレス作業を経験したことのない職員にプレス作業を習得させるという名目で、原告を除いた職員が一日二人ずつで交替で同作業を行うことと決定し、即時にこれを実行に移した。右決定の結果、原告は、プレス作業から外れることとなったが、原告と共に従前からプレス作業にあたっていた長濱はこの間プレス作業からはずれることなく、同作業に就いていた。

同年八月二六日の業務連絡会では、プレス作業のローテーションについて、女子職員は、現在プレス作業の訓練を受けている三人が胴プレスをマスターした後、ローテーションの組み方を協議することが決まった。

同年九月一六日の業務連絡会では、ローテーション実施までどのような基準で行くのかという意見が出されたが、具体案がなく、次回の連絡会で話し合うことになった。

同年一〇月一七日の業務連絡会で女性職員からプレス作業に原告も加わるべきであると言う意見が出され、被告乙山の反対があったが、同年一一月初めから原告もプレスを担当するようになった。

三  被告乙山のいじめ行為の有無(争点1(二))について

以上二で認定したとおり、平成六年二月二四日以降被告乙山は、原告を意図的に無視し、口をきかず、仕事の指示を与えず、補佐的な仕事の担当者を他の者に変更し、原告をプレス作業の担当から外すなどの行為をしている。

これらの個々の行為は、いずれも原則として、職場での業務分担について管理者に裁量権のある行為(仕事の指示の発出、担当職務の決定等)であるか、又は、職場での人間関係の適切さ(特定人の無視、口をきかないこと等)の問題であり、その態様が当不当の問題を生じることはあっても、社会通念上是認できないような特段の事情のない限り違法と評価されるものではないと解するのが相当である。

しかしながら、本件においては、そもそも洗濯場において男性の定員内職員に比して女性の賃金職員の数が多く、男性の定員内職員の長であり、古参職員である被告乙山の地位が他職場に比して一層優越的なものとなり勝ちであったところ、被告乙山は、従前から自分の気に入らない職員に対しては偏頗な行動に出る傾向があり、他の職員は常に同被告の顔色を窺うような状況にあったこと、被告乙山の原告に対する一連の行為が始まったのは原告が性的嫌がらせを拒否した平成六年二月二四日の直後であることなどに照らし、これらの行為は自分の意に添わない行動に出た原告に対する嫌がらせの目的に出たものと推認されることなどの事情に照らせば、被告乙山の前記一連の行為については、社会通念上是認できないような特段の事情があるといえ、平成六年一一月初旬までのこれら被告乙山の行為は全体として原告に対する違法ないじめ行為と評価することができる(なお、原告は被告乙山のいじめ行為が現在まで継続している旨主張しているが、平成六年一一月初旬以降については、いじめ行為と明白に認定できるような具体的行為の主張がない上、度重なる業務連絡会の実施等で洗たく場において被告乙山が自己の意のままに振るまえる機会は相当程度減少しているものと推認されることなどに照らすと、仮に、被告乙山が右時期以降原告を無視するような態度にでているなどの事情があったとしても、直ちにこれをもって違法ないじめ行為ということはできない。)。

なお、被告乙山は、原告がプレス作業に従事しなかったのは、職場懇談会で職員の中から同作業を覚えたいという希望が出たので、プレス作業の経験がある原告を外してそれ以外の職員でローテーションを組んだものである旨主張している。確かに、右二で認定のとおり、七月二六日の業務連絡会では、プレス作業を含めた作業全体のローテーションの話が出ており、その作業分担の細部の決定は被告乙山に委ねられたものである。しかしながら、従前の作業では原告が中心的役割をしていたのに、作業分担の変更について原告に対しなんら事前の相談がなかったこと、プレス技術について免許を有し最も熟練していた原告一人が突然プレス作業から外されたこと、しかも、原告よりも経験の浅い長濱をプレス作業に熟練していない職員の指導者としてプレス訓練にあたらせており、その理由が判然としていないこと(被告乙山は、原告よりも長濱の方が作業の指導に適していると考えたからであると説明しているが(被告乙山本人)、プレス作業に慣れていない職員の訓練を目的としているのになぜプレス作業に最も精通している原告だけが外れるのか、長濱の方が指導に向いているのかについて何ら説得的な理由が述べられてはいない。)などの事情を総合すると、プレス作業についての担当の除外は、原告に対する嫌がらせを目的としたものと推認されるものであり、右推認を覆すに足りる証拠はない。

四  被告乙山の不法行為責任の成否(争点1(三))について

前記で認定した事実によれば、被告乙山は、原告の意思を無視して性的嫌がらせ行為を繰り返し、原告が性的嫌がらせ行為に対して明確な拒否行動をとったところ、職場の統括者である地位を利用して原告の職場環境を悪化させたものである。被告乙山の右一連の行為は、異性の部下を性的行為の対象として扱い、職場での上下関係を利用して自分の意にそわせようとする点で原告の人格権(性的決定の自由)を著しく侵害する行為である。

そして被告乙山の右各行為は、原告にとって精神的苦痛を与えたものであり、被告乙山としては、右各行為により、原告に精神的苦痛を与えるものであることを予見できたといえる。

したがって、被告乙山は、原告に対し、右性的嫌がらせ行為及び職場でのいじめ行為について、不法行為責任を負うものというべきである。

五  被告国の使用者責任の成否(争点2)について

1  被告乙山の違法行為は「事業の執行につき」されたものといえるか(争点2(一))。

前記一、二で認定のとおり、被告乙山の原告に対する性的嫌がらせ行為及び職場におけるいじめは、勤務場所において、勤務時間内に、職場の上司であるという立場から、その職務行為を契機としてされたものであるから、右一連の行為は、外形上、被告国の事業の執行につき行われたものと認められる。

2  被告国は相当な注意をしたといえるか(争点2(二))

(一)  被告乙山の原告に対する性的嫌がらせ行為について、被告国が被告乙山の選任・監督について相当の注意をしたという事実及び相当な注意をしても損害が発生することが避けられなかったという事実は、本件全証拠によっても認められない。

被告国は、従前から洗濯場において早出の場合には、男性職員と女性職員をペアにする必要があったが、女性職員から性的嫌がらせに関係した被害事実の申告等はなく、訴外病院としてこのような事態の発生を予見することは不可能であった旨主張する。確かに、性的嫌がらせ行為については、その行為の性質上密室的な場所で行われることが多く、被害者も羞恥心等から被害の申告をためらうことが少なくないなどの事情があるといえ、管理者にとってはその発生の把握及び適切な対処について困難があることは否定できない。しかしながら、前記のとおり、訴外病院の洗濯場においては他の職場に比して男性定員内職員である洗たく長の地位の優越性が認められること、早出における乾燥室での作業等男女職員が接近し共同して作業する状況があり、職員が性的嫌がらせ行為をする機会が少なくないと考えられること、被告乙山は従前から勤務時間中に職場の女性の体型等について不適切な言動に出ることがあり、それが職場の女性間では相当程度認識されていたこと(証人片岡、同渡辺)などの事情に照らすと、訴外病院として、被告乙山の性的嫌がらせ行為を予見することが不可能であったとまではいえない。

(二)  被告乙山の原告に対する職場でのいじめについても、被告国が被告乙山の選任・監督について相当の注意をしたという事実及び相当な注意をしても損害が発生することが避けられなかったという事実は、本件全証拠によっても認めるに足りない。

すなわち、前記二のとおり、訴外病院は、平成六年三月二日に原告から被害申告を受けた後、四月一一日には、被告乙山に対し口頭で厳重注意を行い、同月一三日には、山本事務長補佐において、同被告と面接し、反省を促し、更に六月七日には、衣笠事務長から勤務割表の公平化等の基本的提案があり、以後毎月業務連絡会を設けることとしたなど、被告乙山の職務上の言動に対する職員の不満に基づく問題点を改善するため、一定の措置を講じてきている。しかしながら、被告乙山が原告に対する性的嫌がらせ行為の存在を強く否定し、かつ、職員へのいじめの点についても弁明するなどしており、原告の訴えのみに基づいて懲戒処分等の強力な措置をとることが困難であったという事情は認められるとはいえ、原告ないし原告の夫が再三にわたり、性的嫌がらせ及びこれに引き続く原告個人に対するいじめの存在を訴えこれに対する処置を求めていたのに対し、性的嫌がらせについては事実の確定が困難であるとして特別の措置をとらず、いじめの問題についても原告個人に向けられた不利益として直接対処せず、むしろ、洗濯場の業務全体の改善の問題として捉えた結果、前記二認定のとおり、被告乙山の原告に対する態度には顕著な変化が見られず、原告をとりまく職場環境は平成六年一一月までの間特段の改善がなかったといわざるを得ない。そうすると、訴外病院が行った対応策によって、被告乙山の原告に対する職場でのいじめ行為について、被告国が被告乙山の選任・監督について相当の注意をしたとまでは認められない。

3  以上のとおりであるから、被告国は、被告乙山の不法行為について、使用者責任を免れない。

六  原告の損害(争点4)について

1  慰謝料

原告は、前記認定のような被告乙山の言動により、著しい精神的苦痛を感じたこと、本件の被侵害利益が女性としての尊厳にかかわるものであること等諸般の事情を考慮すると、原告が被った精神的損害に対する慰謝料の額は一〇〇万円(性的嫌がらせ行為について八〇万円、いじめ行為について二〇万円)と認めるのが相当である。

2  弁護士費用

本件事案の難易、認容額、審理の経過に照らすと、前記不法行為と相当因果関係のあるものとして被告らに賠償を求め得る弁護士費用の額は、二〇万円と認めるのが相当である。

七  結論

そうすると、原告の被告らに対する損害賠償請求(被告乙山に対しては不法行為責任に基づく。被告国に対しては使用者責任に基づく。)は、連帯して、金一二〇万円及びこれに対する不法行為後の平成七年三月三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。したがって、原告の本訴請求を右の限度で認容し、その余は棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき、同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官森本翅充 裁判官太田晃詳 裁判官小林愛子は、差し支えのため、署名捺印できない。裁判長裁判官森本翅充)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例